仁乗上人の碑

概要

仁乗上人は京都醍醐寺三宝院の役僧で当山派の修験者とされます。上人は、明徳2年(1391年)に矢島口から鳥海山の登頂を果たし、その後、修験道の布教活動に勤めたほか、矢島口の農耕技術を指導するなど尽力しました。
元禄10年(1697年)には、矢島藩主生駒正親が上人の遺徳を偲び、上人が修行したと伝わるこの地に、仁乗上人神影碑を建立しました。
神影碑は平成21年(2009年)に鳥海山修験の重要な遺構の一つとして国指定史跡に指定されました。

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詳細

仁乗上人は、修験道当山派の本山京都醍醐寺三宝院の役僧であったとされ、明徳2年(1391年)に諸国巡錫の道すがら、鳥海修験の本地である鳥海山頂を矢島口からきわめ、行者等と共に親しく逆峰修行の忍苦を行せられたと伝えられています。
同年に仁乗がその体験を書き残した「鳥海山大権現縁起」によると、道者道筋にある拝所などが詳しく記されていることや、矢島九日町村の薬師神社を勧請したのも仁乗であったと伝えられ、鳥海山を修験の道場としていたことが知られる貴重な文献となっています。
また、山麓の村々を巡錫して修験道の布教教化に勤めるだけではなく、村人の生活にも深く関わり、丁川の上流から取水する「上堰」という堰筋を作ったり、自ら犂や鍬をとり法衣を泥と汗にまみれさせながら農耕の技を教え導いたと言われています。
晩年は旧鳥海町笹子に移り、上野宅三山の洞窟で瞑想三昧の生活に入り、村里近くで入滅しました。仁乗の入滅後、村人はその威徳を敬慕し、寂滅近くの地である上笹子字下ノ宮に仁乗上人神社を建立し、祀りました。
元禄10年(1697年)、矢島藩4代藩主の生駒玄蕃正親は仁乗上人の尊影を敬慕し、開山神社を過ぎた奥に至るところに、花嵐石で作られた「仁乗上人神影碑」を建立し、五穀豊穣と領内の安全を祈願しました。
平成21年(2009年)、木境大物忌神社境内や開山神社とともに「国指定史跡鳥海山」として指定されています。

マップ

秋田県由利本荘市城内字木境6-1の内

仁乗上人の碑
にじょうしょうにんのひ
Nijoshonin-no-Hi (Monument)

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