高建寺

高建寺

概要

曹洞宗 嶺松山(れいしょうざん)・高建寺(こうけんじ)
応永34年(1427)、越後村上、耕雲寺の傑堂(けつどう)能(のう)勝(しょう)禅師(ぜんじ)によって開創されました。能勝禅師は楠木正成の孫にあたります。能勝禅師は、戦で敵の流れ矢を受け膝を負傷したため、再び武将になることは難しいと悟り、禅の道に入ったとされる人物です。
開基は、安土桃山時代に矢島を治めた由利十二頭の一人、大井五郎満安公。現在もそのお墓が高建寺にあります。
高建寺山門の仁王像は、安永年間(1772~81年)、京都から海路で現在の由利本荘市西目浜に到着し、荷馬車で運ばれたと言われております。

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詳細

応永34年(1427)、越後村上、耕雲寺の傑堂能勝禅師(楠木正成の四男正儀の嫡男で正能)によって開創されました。矢島十二頭の1人、大井五郎満安の菩提寺であります。山門の仁王像は、安永年間、京都から海路西目浜に到着し荷馬車で運ばれたといわれております。
越後国(新潟県)耕雲寺の開祖・傑堂能勝が、矢島の領主で由利十二頭の一人の大井五郎満安(光康)の帰依を受けて創建しました。その年代を応永年間(1394)といわれ大井氏の根城館の南の地が創建の地で、今でも高建寺跡、古四王神社跡、家臣団の五輪墳墓、板碑などが現存しております。
『傑堂能勝禅師記』に「於諸州開十箇大刹」とありますので、高建寺もその一か寺の可能性があります。高建寺の事実上の創建開山は二世切叟かもしれませんが、ともかく耕雲寺末寺四十三か寺の第四座に列する高い寺格を有したとされております。菊水の紋を寺紋とするのは、開山の傑堂が楠木正成の三男正儀の嫡男であることや、六世中興の蟠室傳龍も楠木氏の末裔といわれております。
なお『耕雲開山月泉禅師嗣資之次第』によれば、月泉良印の法嗣霊翁良英が由利津雲出野島(矢島の旧郷名)に高溪寺を創建したとあります。この高溪寺というのは、高建寺と思われます。
寺地は根城館の二の丸から坂の下村に移りましたが、寛永16年(1639)の大洪水で流失し、明暦2年(1656)に現在地に再建したのが現在の本堂で、明治の改築を経て今日にいたっております。
境内には矢島随一の山門が建ち、宝暦年間、九世南翁代の観音堂(本尊如意輪観音)が建っております。開基大井五郎満安の墓が営まれ、寺宝には彼の遺品や自画像があります。この寺に寓居した羽前(山形)の連福寺の定蔵海印(歌人)の歌集『禅余草枕集』十七巻を所蔵しております。境内に繁る臥龍の松は市指定の天然記念物となっております。

マップ

秋田県由利本荘市矢島町立石字上野120

曹洞宗 嶺松山 高建寺
そうとうしゅう れいしょうざん こうけんじ
Koken-ji Temple

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Kokenji 高建寺 曹洞宗 宗教法人 kokenji
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