八幡神社

八幡神社

概要

八幡(はちまん)神社(じんじゃ)
根城館(ねじょうたて)の一隅(いちぐう)に鎮座する八幡神社は永禄期に矢島の領地を治めていた「由利十二頭」の一人、大井五郎満安(みつやす)が創建したと伝承されております。
屋根の重厚感や象(ぞう)鼻(ばな)、頭(かしら)貫(ぬき)、蟇(かえる)股(また)などの彫刻が総じて特色があり秋田県では貴重な建物として、本殿は秋田県指定有形文化財に指定されております。

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詳細

八幡神社は矢島盆地を見下ろす段丘の一角、根城館の突端に建っています。本殿(宮殿)一棟は昭和28年10月に秋田県有形文化財(建物)に指定されました。県指定の申請に当たっては、昭和28年東京大学教授の藤島亥治郎先生が来町され、調査鑑定されました。
八幡神社は源氏の守護神とされ、中世時代の矢島の地頭「大井氏」が、信濃国小笠原長清の七男大井朝光が矢島に入部し、八森城から根城館に居城したときに、城内に八幡神社と諏訪神社の二社を建立したと言われる。(大井氏の館は、八森城⇒根城館⇒新荘館⇒荒倉館と転城)
矢越家の所蔵古文縁起によれば、中世時代(応仁のころから天正)大井氏の鎮守の神として根城館に八幡神社を建立したとある。万治2年(1659)に当時の矢島初代生駒藩主、正俊公が家臣の井上道円に命じて再建改築した。当時の棟梁は藤丸藤十郎とあります。大正2年に火災消失し、本殿のみが残り、その時代の本殿とされています。
当本殿は、正面7尺、側面6.2尺の母屋の前面に庇(ひ){ひさしのこと}をつけ、茅葺(かやぶき)屋根を一体に葺きおろした一間社(いっけんしゃ)流造りの形式で、すこぶる特徴のある屋根形式に見える。
厚く茅を葺き、大きく箕甲(きこう)をとって、ゆっくりとした屋根形式などは、一見素朴な印象をもつが、細部の技法をみると、禅宗様の影響が加わって、後ろに一般化された流造りの形式をよく踏襲している。四本の柱は径7寸の円柱で、地長押・腰長押・円法長押を備え、組物は唐様肘木をもって大虹梁に対し手先を出している。母屋の円柱をつなぐ頭貫鼻(しかばな)に絵様繰形をつけ、組物は三斗であるが、前面側柱上は連三斗を組む。妻飾りは、虹梁大瓶束式である。庇の頭貫は虹梁形に作り、その木鼻(きばな)象鼻彫刻で、やはり連三斗を組む。母屋と庇の中備は肩付きのかえるまたを配置して飾っている。
このように当本殿は、室町時代後期に近畿地方を中心に確立された流造りの形式技法の伝統を引き継いでいる。加えて、素朴かつ地域色のみられる木鼻などの装飾は、江戸時代前期の神社の特色をよく伝えている。

昭和28年10月5日県指定有形文化財(建造物)(八幡神社本殿)

マップ

秋田県由利本荘市矢島町荒沢字根城舘地内

八幡神社
はちまんじんじゃ
Hachiman-jinja Shrine

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