概要
旧佐藤政忠(まさただ)家住宅
佐藤政忠住宅は、生駒家の重臣である加川退蔵宅として、明治2年(1869)に建てられた武家住宅です。加川退蔵は、江戸家老でありましたので、建築間もない明治5年に江戸へ戻ります。
その後、別の家臣である佐藤政忠が買い受け、この場所に移築されました。
建物外観は、座敷西側の出窓に繊細な格子を組んだ猿頭(さるがしら)付きの屋根、軒廻りは出桁(だしけた)を組んで棰軒(たるのき)を見せております。
床下の低さは床下からの侵入を防ぐためと言われ、天井の低さは刀を振り回すことができないようにと武家屋敷の特徴をもっております。
外観および内部空間ともに簡潔で、清楚さを追求した造りになっており、当時の江戸大工の手によるものです。
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詳細
佐藤政忠家住宅は、明治2(1869)年に建てられた武家住宅です。明治元年の戊辰戦争により、八森陣屋と城下はほとんど焼失しましたが、翌2年の版籍奉還による矢島藩庁の成立とともに城下の復興工事が行われました。本住宅は、そのときの矢島藩大参事で、藩政時代には江戸家老であった加川退蔵住宅として建てられたものです。当時の加川家住宅は、旧八森陣屋大手門脇の堀端(城内大路第1区6番)にありましたが、明治5年に加川家が東京へ転居するにあたり、佐藤政忠が所有、その後現在地に移築されました。
本住宅は139㎡、矩折りの平屋で、西側通りの桁行7.5間は座敷棟、南通りの桁行4間は台所棟に大別され、屋根は緩い勾配の切妻屋根を上げて矩折接続部は隅木入りに曲がっています。建築当時の屋根は柾葺でしたが、今回の復元は銅板です。外観は、座敷側の西面に出窓を設けて繊細な格子を組んだ猿頭付きの板屋根で、また軒廻りは出桁を組んで棰軒をみせています。
本住宅の意匠は、外観および内部空間とも簡潔に作られ、清楚さを追求した高風な意匠の武家住宅といえます。家伝によれば、本住宅は当時の江戸大工の手によるものとされており、その洗練された意匠からみて、この伝えは正しいと思われます。全体として当時の住宅建築の特色をよく示し、当時の武家建築(住宅)の使い方(住まい方)を知る上で貴重な存在であるといえます。
マップ
秋田県由利本荘市矢島町矢島町32
旧佐藤政忠家住宅
きゅうさとうまさただけじゅうたく
KyuSatomasatadakejutaku Cultural property