折口信夫(おりくち しのぶ)の詩

概要

折口信夫は、国文学者・民俗学者である一方で、詩歌の才能に優れた釈迢空(しゃくちょうくう)として知られる歌人でもあります。「古代感愛集」などを刊行して注目され、門弟の中から多くの歌人を送り出しています。

折口は、昭和6年(1931年)八朔祭の数日前に矢島を訪れ、この歌を詠みました。
「とりのみの山のふもとに居りとおもふ心しづけし獅子笛きけば」

八朔祭に備えた笛の音の余韻にひたりながら詠んだと言われており、旧花立畜産センター入口の門柱にこの歌が刻まれています。

音声ガイド(音声のみ)

サイズ 1Mb前後

動画(音声ガイド付)

サイズ 10Mb前後

360度 パノラマ画像

詳細

折口信夫は、明治20年(1887年)2月11日、大阪府西成郡木津村(現・大阪市浪速区)に生まれました。
国文学者、民俗学者として知られる折口は、文献や資料のみに頼るのではなく、実際に自ら日本各地を訪れ、年中行事や祭礼などの民俗調査を行いました。その調査から日本の古典や古代の民俗生活を解き明かそうとし、研究を行う上で実感的に把握することを最も大切にし、これは折口学とも称されました。研究領域は、国文学、民俗学をはじめ、神道学、国語学、芸能史など多方面に及んでいます。代表的な著作として、1929年~1930年に著作された「古代研究」があります。一方で、詩歌の才能に優れており、釈迢空の筆名で知られる歌人でもありました。「古代感愛集」や「近代悲傷集」などで注目され、門弟の中から多くの優れた歌人を送り出しています。
その他の主な作品として、歌集「海やまのあひだ」(1925年)、小説に「死者の書」(1939年)等があります。
昭和6年(1931年)9月10日、折口45歳の時に、八朔祭(9月12日)を2日後に控えた矢島町を訪れています。矢島に到着した日は地元の歌人宅に宿泊し、八朔祭に備えた練習のため夜遅くまで聞こえていた笛の音に耳を傾け、次の短歌を詠んでいます。

「とりのみの山のふもとに居りとおもふ心しづけし獅子笛きけば」

この歌を残したいという思いから、釈迢空から短歌を神明社の天井板(欅)に書いてもらい、釈迢空自筆の短歌は、神明社拝殿に掲額されています。旧道、花立畜産センター入口の門柱にも今野重五郎氏が書いた釈迢空の短歌が刻まれています。

マップ

秋田県由利本荘市矢島町城内花立60-3

折口信夫の詩
おりくちしのぶのうた
Orikuchishinobu-no-Uta (Poetry monument)

周辺施設

タイトルとURLをコピーしました