歴史交流館「八森苑」・「道益苑」

八森苑

八森苑

概要

八森苑(はちもりえん)
八森苑は、四国高松の栗林公園の創始者佐藤道益(どうえき)の子孫が居住した家屋で、平屋の方は、戊辰の役で消失し、現在の家屋は戊辰の役後に建て直されたものです。
この建物の特徴は、格式を重んじた上級武士の住居として、客室は他より一段高く造られております。
二階建ての建物は大正年間に建て増しされたもので、当時としては珍しく外国の用材を用いられるなど、材料を吟味して三年もかけ建築されております。
その中には、遠州流(えんしゅうりゅう)の茶室も設けられており、庭は栗林公園の影響を受けたといわれております。

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詳細

本家屋は、旧生駒藩重臣である佐藤家が、昭和10年代まで住まいした住居で、今から155年前の戊辰戦争で焼かれた後、佐藤家の言い伝えと、佐藤家末裔の聞き取りによると、本家屋は、明治10年頃、焼失以前の家屋を復元されるように建てた、中門作りの寄棟延べ面積65坪の木造平屋建ての家屋であり、離れ二階は大正末期、3年かがりで全国を巡って集めた銘木が数多く使われ贅を尽くした建造物であり、共に同じ敷地内に「木造公共施設整備事業」により建築された、これまた平屋建ての道益苑工事の際、本家屋の修復工事を行い、平成13年4月から「矢島町歴史交流館」として公開されております。
かつての住人佐藤家は、天正15年生駒氏が讃岐一国を拝領する以前からの讃岐国の豪族で、生駒氏入国と共に家臣として仕え丸亀城の城代を勤める等の家柄で、天下の名園として名高い「栗林公園」は、佐藤氏の先祖佐藤道益の居城であったと「高松栗林公園碑」に刻まれている。寛永17年(1640)生駒氏移封と共に矢島に来て重臣として生駒家に仕えた者で、本家屋は家柄にふさわしい住居で、特に裏中門に当たる部分の御座敷は一段高い特徴のある作りとなっております。
歴史交流館内の建造物は、明治・大正・平成の建物であり、庭園も又遠州流の庭園と言われ、離れ階下八畳二間は、遠州流の茶室として、主に賓客の接待用として使用されております。
雁木門に板塀、石垣に側溝の流れと士屋敷の雰囲気を醸し出すのが「八森苑」で、北側には生駒家菩提寺龍源寺、又、付近には生垣に囲まれた切妻の古い本家と白壁の土蔵を持つ、共に讃岐から来た河西家など歴史的な思いにひたる事が出来る一角に建つのが八森苑であります。
平成16年3月2日、国登録有形文化財(建造物)

道益苑

概要

道益苑は、平成12年に四国高松市との生駒公の縁による友好都市提携を結んだのを記念して、八森苑とともに歴史交流館の一つとして総工費1億8千万円を投じて建てられたものです。
枯山水の庭は、園芸家である元矢島町長の佐藤清圓(さとうせいえん)氏の作であります。
歴史交流館は、生駒公につながる縁で結んだ姉妹都市提携による高松市との交流に、また大井氏につながる縁で結んだ友好都市提携の長野県佐久市との交流の際にも利用され、お茶やお花の稽古道場としても使われております。

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平成12年に四国高松市との生駒公の縁による友好都市提携を結んだのを記念して、八森苑とともに歴史交流館の一つとして総工費1億8千万円を投じて建てられました。
枯山水の庭は、園芸家である佐藤清圓氏(元町長)の作であります。
歴史交流館は、生駒公につながる縁で結んだ姉妹都市提携による高松市との交流に、また大井氏につながる縁で結んだ友好都市提携の佐久市(長野県)との交流の際にも利用され、お茶やお花の稽古道場としても使われております。

マップ

秋田県由利本荘市矢島町矢島町55

歴史交流館「八森苑」・「道益苑」
れきしこうりゅうかん「はちもりえん」・「どうえきえん」
Historical Exchange Center 「Hachimorien」「Doekien」

周辺史跡等


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