開山神社

概要

開山神社は、嘉祥3年(850年)に美濃国土田村から移住し、鳥海山矢島口登拝道(と(う)はいどう)を開いたとされる比良衛、多良衛兄弟を祀る神社です。
社殿は明治14年(1881年)に焼失しましたが、その2年後に再建され、平成2年(1990年)には屋根を鉄板葺きとして現在に至っています。
開山神社を含む境内は、古代より信仰の山として崇敬されてきた鳥海山信仰の実態を知るうえで重要であることから、平成21年(2009年)には、木境大物忌神社境内や木境周辺の道者道(登拝道)とともに、「国指定史跡鳥海山」に指定されました。

音声ガイド(音声のみ)

サイズ 1Mb前後

動画(音声ガイド付)

サイズ 10Mb前後

360度 パノラマ画像

詳細

開山神社は、「開山神社縁起」によれば、嘉祥3年(850年)に美濃国土田村から移住し、鳥海山矢島口登拝道(道者道)を開いたとされる比良衛、多良衛兄弟を祀っている神社です。近世には「行者堂」と呼ばれていました。
比良衛、多良衛は前鬼、後鬼とも呼ばれており、修験道の開祖である役小角(神変大菩薩)に従っている善童鬼と妙童鬼になぞらえ、祀られてきました。
兄弟の嫡裔は、上荒沢の土田家とされ、子孫は針ケ岡・荒沢・熊ノ子沢・濁川に広がったと伝えられています。
本社殿は、明治14年(1881年)に焼失しましたが、同16年(1883年)に再建されました。比較的小規模な建築であり、平成2年(1990年)には屋根を鉄板葺きとし現在に至っていますが、軒部分が船枻造(せがいづくり)となっていることから、当初は茅葺きであったことが解ります。屋根は切妻造(きりづまづくり)で妻飾りに梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)を付してあります。装飾を一切廃した質実剛健な建築であり、これは豪雪地帯に建つ建築の特徴と考えられます。
鳥海山矢島口登拝道筋に鎮座する開山神社を含む境内一円は、古代から近世を通じて信仰の山として崇敬されてきた鳥海山の宗教や信仰の実態を知るうえで極めて重要であることから、平成21年(2009年)に、木境大物忌神社境内や木境周辺の登拝道(道者道)とともに、「国指定史跡鳥海山」に指定されています。

マップ

秋田県由利本荘市城内字木境15

開山神社
かいさんじんじゃ
Kaisan-Jinja Shrine

周辺施設

タイトルとURLをコピーしました