• 小中高等学校 ~ 鳥海山を望む矢島地域
由利本荘市矢島地域について

矢島地域は、鳥海国定公園を中心とする環鳥海広域観光の北側入り口です。
讃岐(現在の高松市)から国替えした生駒藩の城下町として独自の文化が築かれ発展してきた地域で、歴史的建造物も数多くあります。
鳥海山登山や自然を活用した特色あるイベントのほか、江戸時代からつづく八朔まつりや伝統ある行事などを継承しています。

本サイトを手に、矢島地域めぐりはいかがでしょうか。

0401祥雲寺

龍源寺

概要 曹洞宗 金嶺山(きんれいざん) 龍源寺(りゅうげんじ)龍源寺は、元和9年(1623)に常陸の国より矢島三千石を拝領した打越(うてち)光隆(みつたか)、光久(みつひさ)親子が現在の場所に、打越氏の菩提寺として開基したお寺で、令和5年には...
05金刀比羅神社

祥雲寺

概要 曹洞宗 大雄山(だいゆうざん) 祥雲寺(しょううんじ)祥雲寺は現在のにかほ市院内の禅林寺(ぜんりんじ)14世心翁全達(しんおうぜんたつ)和尚(おしょう)によって慶長15年(1610)由利本荘市矢島町川辺に開創されました。元禄9年(16...
0301龍源寺

金刀比羅神社

概要 金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)金刀比羅神社は、生駒高俊公が寛永17年(1640)に讃岐から国替えされた際に、日頃信仰の厚かった領内の象(ぞう)頭山(ずざん)金毘羅(こんぴら)大権現(だいごんげん)の神霊を分霊し、従来から打越氏が鬼門...
0503民部坂

河西家住宅

概要 河西(かわにし)家住宅河西家は、生駒高俊公が讃岐国17万石から1万石で矢島に移封された寛永17年(1640)に随行してきた武士の家で、矢島13代親敬公の明治維新まで230年間、目付・代官等の責務を遂行した家でもあります。現在の河西家は...
0502河西家住宅

民部坂

概要 民部(みんぶ)坂当時、年貢は八森城の裏口より納められておりました。民部(みんぶ)坂は八森城の裏手にあたるため、農民は荷車に年貢を積んで、石畳の坂を上ってきたとされております。民部坂という名前の由来は、坂のところに桜庭民部が住んでいたこ...
0502河西家住宅

水神様と不動の滝

概要 水神様・不動の滝矢島町家中の河西家のあたりに住んでいた生駒藩士櫻庭佐左ヱ門が願主となり、安政6年(1859)に当時多発していた災害防止を祈願するため、姻戚関係のあった御典医(ごてんい)の相庭家所有地に、丁内有志と共に不動明王碑を建立し...
0502河西家住宅

乾田馬耕碑

概要 乾田馬耕碑(かんでんばこうひ)明治時代まで、地域の稲作の多くは湿田で行われ、人の手による田起こしが主流でした。明治34年(1901)矢島町木在の三浦芳治は、こうした状況から米質の改良と生産性を高めるため、湿田から乾田。そして人力から馬...
0801福王寺

歴史交流館「八森苑」・「道益苑」

八森苑 概要 八森苑(はちもりえん)八森苑は、四国高松の栗林公園の創始者佐藤道益(どうえき)の子孫が居住した家屋で、平屋の方は、戊辰の役で消失し、現在の家屋は戊辰の役後に建て直されたものです。この建物の特徴は、格式を重んじた上級武士の住居と...
2001愛宕西宮神社

旧佐藤政忠家住宅

概要 旧佐藤政忠(まさただ)家住宅佐藤政忠住宅は、生駒家の重臣である加川退蔵宅として、明治2年(1869)に建てられた武家住宅です。加川退蔵は、江戸家老でありましたので、建築間もない明治5年に江戸へ戻ります。その後、別の家臣である佐藤政忠が...
0301龍源寺

福王寺

概要 真言宗智山派 鳥海山(ちょうかいさん)・福王寺(ふくおうじ)福王寺は、鳥海山修験信仰の開祖、理源大師を創始として開基されました。開基は和銅5年(712年)と言われ、1,300年以上の歴史をもつ県内有数の由緒あるお寺です。矢島修験の十八...
0801福王寺

壽慶寺

概要 法華宗本門流 正明山(しょうみょうざん) 壽慶寺(じゅけいじ)開創は寛永4年(1627)、打越左近将監光隆公が法華堂を建立しました。その後、寛文12年(1672)、生駒氏家老(市橋定右衛門尉藤原正明)が内室の三代藩主生駒親興の従姉(い...
0901壽慶寺

矢島神明社

概要 矢島(やしま)神明社(しんめいしゃ)矢島神明社は、往古より当町内に鎮座し、寛永17年(1640)生駒氏の所領となり、神明社が一郷領地の鎮守となりました。元は福王寺の左下方に鎮座しておりましたが、慶応4年(1868)の戊辰の役にて焼失し...
10矢島神明社

八朔祭

概要 八朔(はっさく)祭(まつり)八朔祭りは、400年の歴史を持ち、五穀(ごこく)豊穣(ほうじょう)と無病(むびょう)息災(そくさい)を願う矢島神明社の祭典で、旧暦の八月朔日(1日)に行われたことからこの名前がついております。宵宮では神楽(...
1102斎藤寅次郎が育った家(跡地)

大井家住宅

概要 矢島町舘町の大井家は、江戸時代中期の宝暦年間(1750年代)より酒造業を営んでいた家系で、藩財政にも関与していた旧家です。特筆すべき事として、天保飢饉の際には、窮乏する藩財政の立て直しの一環として、酒田本間家との借財交渉において、陣頭...
11大井家住宅

斎藤寅次郎が育った家(跡地)

概要 日本の喜劇映画監督として、国の内外にその名をはせた斎藤寅次郎は、矢島町収入役だった斎藤孝一郎(こういちろう)の二男として明治38年(1905)に矢島町舘(たて)町(まち)で生まれました。寅次郎は、矢島尋常小学校6年生の卒業式1ヶ月前に...
10矢島神明社

廣祐寺

概要 真宗大谷派 信行山(しんぎょうざん)・廣祐寺(こうゆうじ)廣祐寺の開祖は往相(おうそう)院釈(いんしゃく)廣祐(こうゆう)で、寺号を「廣祐寺(こうゆうじ)」としたお寺です。廣祐の父、廣西(こうざい)は慶長年間(1596~1615)、加...
1302大井五郎満安の墓

高建寺

概要 曹洞宗 嶺松山(れいしょうざん)・高建寺(こうけんじ)応永34年(1427)、越後村上、耕雲寺の傑堂(けつどう)能(のう)勝(しょう)禅師(ぜんじ)によって開創されました。能勝禅師は楠木正成の孫にあたります。能勝禅師は、戦で敵の流れ矢...
13高建寺

大井五郎満安の墓

概要 大井五郎(おおいごろう)満安(みつやす)の墓墓石は、大井五郎満安の菩提寺、高建寺(こうけんじ)にあります。大井五郎満安は、由利郡内に勢力を張った由利十二頭のひとりで、戦国時代から安土桃山時代にかけて、矢島の根城館を拠点に、勢力を張りま...
1402根井館

土田家住宅

概要 土田家住宅は、17世紀に建築された県内で最も古い農家住宅です。土田家の祖先は木曽義仲の四天王の一人、根井(ねのい)行親(ゆきちか)の末裔です。この中門(ちゅうもん)造りとしては珍しく、中世武士住宅の「主殿(しゅでん)造り」の系統を引い...
14土田家住宅

根井館

概要 根井館(ねのいだて)根井氏は木曽義仲の四天王根井(ねのい)行親(ゆきちか)の一族で、浪々の末、根井館によりました。由利十二頭の大井義久とゆかりがあり、信州根々井(ねねい)村出身であるといわれております。四代(又は三代)大井満安に攻め入...