• 小中高等学校 ~ 鳥海山を望む矢島地域
由利本荘市矢島地域について

矢島地域は、鳥海国定公園を中心とする環鳥海広域観光の北側入り口です。
讃岐(現在の高松市)から国替えした生駒藩の城下町として独自の文化が築かれ発展してきた地域で、歴史的建造物も数多くあります。
鳥海山登山や自然を活用した特色あるイベントのほか、江戸時代からつづく八朔まつりや伝統ある行事などを継承しています。

本サイトを手に、矢島地域めぐりはいかがでしょうか。

310鳥海山周辺

木境大物忌神社

概要木境大物忌神社は、鳥海山信仰の結界である、鳥海山矢島口2合目の木境に位置します。神社は、当山派の矢島修験組織の修験道場であり、逆峰方の本拠地でもありました。近世には薬師堂と呼ばれ、矢島領の総鎮守として五穀豊穣、国家安穏を祈念しました。鳥...
206折口信夫の詩周辺

東証上場の森

概要「東証上場の森」は、㈱東京証券取引所 初代社長 故土田正顕(つちだまさあき)氏が旧矢島町出身であったことが縁で、2004年(平成16年)矢島地域の花立牧場公園内に創設されました。第一回の記念植樹では、東証上場会社数に相当する2,250本...
スキー場エリア

鳥海高原矢島スキー場

概要鳥海高原矢島スキー場は、秋田県由利本荘市にあるスキー場です。鳥海山の北側の山麓に位置し、上質な雪に恵まれています。コースは6コースあり、最長1.3kmのパノラマコースや楽しさと安全性を追求したスノーパークが魅力で、初級者から上級者まで楽...
310鳥海山周辺

善神沼

概要善神沼は、鳥海山4合目の原始林の中にあります。5合目祓川(はらいか(が)わ)の手前にある小さな沼で、新緑、紅葉シーズンになると登山客とともに、風景を目的とした行楽客が多く訪れる名所です。秋には、赤や黄色に色づいた紅葉と共に、沼に鳥海山が...
0101八森城址

矢島神社

概要矢島神社は、明治16年(1883)、旧矢島藩士約140名と領地民の有志代表が、初代藩主生駒親正の徳を称えるため建立された神社です。明治31年(1898)には最後の藩主生駒親(ちか)敬(ゆき)が、合祀されました。毎年5月13日には、祭典が...
0101八森城址

斎藤佳三顕彰碑

概要斎藤佳三(かぞう)顕彰碑斎藤佳三(かぞう)は、明治20年矢島地域舘町の斎藤忠一郎の長男として生まれました。東京音楽学校に入学中退し、その後東京美術学校に入学。卒業後、親交のあった山田耕筰(こうさく)らとともに大正元年ドイツに留学し、構成...
0101八森城址

土田衡平碑

概要土田衡平碑(こうへい)碑土田衡平は、安政の末に、矢島藩士として江戸に置かれた矢島藩の屋敷、藩邸にて書記役を務めておりましたが、家老と激論の末脱藩。尊皇攘夷の念に燃えて筑波山事件の策士として挙兵に参加し、幕府及び諸藩の兵と戦い活躍しました...
0101八森城址

矢島招魂社

概要矢島招魂社招魂社の創建は明治2年7月28日矢島地域元町根(ねの)井館(いだて)に戊辰の役戦死者7柱祀られたことからとされております。明治4年5月現地に移転しております。祭神は、戊辰の役7柱、日清戦争15柱、日露戦争34柱シベリア守備2柱...
0101八森城址

天満宮

概要天満宮天満宮には、学問の神様、天神様が祀られており、その昔は福王寺のあたりに社がありました。現在の場所には大正時代に移転され、例祭には、氏子や関係者が参拝するほか、矢島小学校児童が書道作品を奉納し、子どもの健やかな成長と、学業成就などが...
0401祥雲寺

龍源寺

概要曹洞宗 金嶺山(きんれいざん) 龍源寺(りゅうげんじ)龍源寺は、元和9年(1623)に常陸の国より矢島三千石を拝領した打越(うてち)光隆(みつたか)、光久(みつひさ)親子が現在の場所に、打越氏の菩提寺として開基したお寺で、令和5年には4...
05金刀比羅神社

祥雲寺

概要曹洞宗 大雄山(だいゆうざん) 祥雲寺(しょううんじ)祥雲寺は現在のにかほ市院内の禅林寺(ぜんりんじ)14世心翁全達(しんおうぜんたつ)和尚(おしょう)によって慶長15年(1610)由利本荘市矢島町川辺に開創されました。元禄9年(169...
0301龍源寺

金刀比羅神社

概要金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)金刀比羅神社は、生駒高俊公が寛永17年(1640)に讃岐から国替えされた際に、日頃信仰の厚かった領内の象(ぞう)頭山(ずざん)金毘羅(こんぴら)大権現(だいごんげん)の神霊を分霊し、従来から打越氏が鬼門の...
0503民部坂

河西家住宅

概要河西(かわにし)家住宅河西家は、生駒高俊公が讃岐国17万石から1万石で矢島に移封された寛永17年(1640)に随行してきた武士の家で、矢島13代親敬公の明治維新まで230年間、目付・代官等の責務を遂行した家でもあります。現在の河西家は明...
0502河西家住宅

民部坂

概要民部(みんぶ)坂当時、年貢は八森城の裏口より納められておりました。民部(みんぶ)坂は八森城の裏手にあたるため、農民は荷車に年貢を積んで、石畳の坂を上ってきたとされております。民部坂という名前の由来は、坂のところに桜庭民部が住んでいたこと...
0502河西家住宅

水神様と不動の滝

概要水神様・不動の滝矢島町家中の河西家のあたりに住んでいた生駒藩士櫻庭佐左ヱ門が願主となり、安政6年(1859)に当時多発していた災害防止を祈願するため、姻戚関係のあった御典医(ごてんい)の相庭家所有地に、丁内有志と共に不動明王碑を建立しま...
0502河西家住宅

乾田馬耕碑

概要乾田馬耕碑(かんでんばこうひ)明治時代まで、地域の稲作の多くは湿田で行われ、人の手による田起こしが主流でした。明治34年(1901)矢島町木在の三浦芳治は、こうした状況から米質の改良と生産性を高めるため、湿田から乾田。そして人力から馬の...
0801福王寺

歴史交流館「八森苑」・「道益苑」

八森苑概要八森苑(はちもりえん)八森苑は、四国高松の栗林公園の創始者佐藤道益(どうえき)の子孫が居住した家屋で、平屋の方は、戊辰の役で消失し、現在の家屋は戊辰の役後に建て直されたものです。この建物の特徴は、格式を重んじた上級武士の住居として...
2001愛宕西宮神社

旧佐藤政忠家住宅

概要旧佐藤政忠(まさただ)家住宅佐藤政忠住宅は、生駒家の重臣である加川退蔵宅として、明治2年(1869)に建てられた武家住宅です。加川退蔵は、江戸家老でありましたので、建築間もない明治5年に江戸へ戻ります。その後、別の家臣である佐藤政忠が買...
0301龍源寺

福王寺

概要真言宗智山派 鳥海山(ちょうかいさん)・福王寺(ふくおうじ)福王寺は、鳥海山修験信仰の開祖、理源大師を創始として開基されました。開基は和銅5年(712年)と言われ、1,300年以上の歴史をもつ県内有数の由緒あるお寺です。矢島修験の十八坊...
0801福王寺

壽慶寺

概要法華宗本門流 正明山(しょうみょうざん) 壽慶寺(じゅけいじ)開創は寛永4年(1627)、打越左近将監光隆公が法華堂を建立しました。その後、寛文12年(1672)、生駒氏家老(市橋定右衛門尉藤原正明)が内室の三代藩主生駒親興の従姉(いと...