05金刀比羅神社

金刀比羅神社の周辺史跡

0102日新堂跡

八森城址

概要 八森城址は、由利十二頭の一人、大井氏の古城として伝えられています。元和9年(1623)には打越(うてつ)光隆(みつたか)が矢島領主として八森城に入っており、令和5年には400年の節目を迎えました。その後、家臣の騒動により領地没収となっ...
05金刀比羅神社

祥雲寺

概要 曹洞宗 大雄山(だいゆうざん) 祥雲寺(しょううんじ)祥雲寺は現在のにかほ市院内の禅林寺(ぜんりんじ)14世心翁全達(しんおうぜんたつ)和尚(おしょう)によって慶長15年(1610)由利本荘市矢島町川辺に開創されました。元禄9年(16...
0503民部坂

河西家住宅

概要 河西(かわにし)家住宅河西家は、生駒高俊公が讃岐国17万石から1万石で矢島に移封された寛永17年(1640)に随行してきた武士の家で、矢島13代親敬公の明治維新まで230年間、目付・代官等の責務を遂行した家でもあります。現在の河西家は...
0502河西家住宅

民部坂

概要 民部(みんぶ)坂当時、年貢は八森城の裏口より納められておりました。民部(みんぶ)坂は八森城の裏手にあたるため、農民は荷車に年貢を積んで、石畳の坂を上ってきたとされております。民部坂という名前の由来は、坂のところに桜庭民部が住んでいたこ...
0502河西家住宅

水神様と不動の滝

概要 水神様・不動の滝矢島町家中の河西家のあたりに住んでいた生駒藩士櫻庭佐左ヱ門が願主となり、安政6年(1859)に当時多発していた災害防止を祈願するため、姻戚関係のあった御典医(ごてんい)の相庭家所有地に、丁内有志と共に不動明王碑を建立し...
0502河西家住宅

乾田馬耕碑

概要 乾田馬耕碑(かんでんばこうひ)明治時代まで、地域の稲作の多くは湿田で行われ、人の手による田起こしが主流でした。明治34年(1901)矢島町木在の三浦芳治は、こうした状況から米質の改良と生産性を高めるため、湿田から乾田。そして人力から馬...