先覚者・文化財

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先覚者・文化財

打越飛騨守光隆

概要打越氏は、信州小笠原、大井氏の系譜につながり、戦国時代に現在の由利本荘市内越地域に勢力をもっていた由利十二頭とも呼ばれる豪族の一人です。打越氏十六代 打越光隆は慶長7年(1602年)に常陸国行方郡新宮(茨城県行方市新宮)へ国替えとなりま...
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打越氏の治政時代

概要元和8年(1622年)に最上氏の改易に伴い楯岡氏が由利郡を退去し、元和9年(1623年)10月に常陸から打越光隆が矢島三千石の領主として入部しました。光隆は家督を子の光久に譲りましたが、寛永11年(1634年)に光久が急死し、その光久に...
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生駒氏の治政時代

概要生駒氏は美濃国可児郡土田村(岐阜県可児市土田)の出で、初代 親正は織田信長、豊臣秀吉に仕えた豊臣家の三中老の一人で讃岐十七万石余の領主となり、高松城を築城しました。二代 一正は各地を転戦し、関ヶ原の戦いで徳川方として奮戦した功により、讃...
1302大井五郎満安の墓

由利十二頭(矢島氏)

概要伝承によると、戦国時代の由利地方は政情の不安を受けた混乱期にあり、郡司・地頭のない状態であったため由利郡の人々は安堵を願い、由利郡は信州から派遣された豪族たちによって分割統治されたと伝わっています。この豪族たちを由利十二頭と呼びます。こ...
0102日新堂跡

今井光隆(文山)

概要今井光隆は幼少の頃は、とても体が弱かったのですが、摂生して健康を回復し、学問に打ち込みました。嘉永6年(1853年)藩校の日新堂の初代主宰となり、後に日新堂が廃校となってからも自宅で子弟の教育に尽力しました。矢島の教育の興隆と維持、そし...
1102斎藤寅次郎が育った家(跡地)

斎藤寅次郎

概要斎藤寅次郎(本名斎藤寅二郎)は、矢島町出身の映画監督です。明治38年(1905)1月30日に誕生し、上京後に映画に興味を持ち、親戚の斎藤佳三の紹介で松竹キネマ映画撮影所(蒲田撮影所)に入所しました。昭和2年に清水宏と共同で初の作品『不景...
1601矢島郷土資料館

魚形文刻石

概要魚形文刻石(ぎょけいもんこくせき)は、通称鮭石(サケイシ)とも呼ばれ、30㎝~1m前後の自然石に魚形を刻んだ石の総称で、石小刀を使用して線刻されたと考えられています。魚形を表した目的については、色々考えられていますが、豊漁を祈るためだっ...
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刀(國重)

概要作られたのは慶応元年(1865年)5月で、矢島藩生駒氏の抱工(かかえこう)、宮崎國重が生駒家の家臣、東海林直八の依頼により製作したものです。長さ72.1㎝、反り1.3㎝、元(もと)幅(はば)3.1㎝、先(さき)幅(はば)2.2㎝、切っ先...