修験道

概要

鳥海修験道は、鳥海山そのものを薬師如来であり大物忌神とする神仏習合の山岳信仰で、鳥海山は修験の霊場として確立されました。登山道を通る者は、修験道にあやかる信仰として道者(信仰者)と呼ばれ、登山道は道者道(登拝道(と(う)はいどう))と呼ばれるようになりました。
道者道は、針ヶ岡の一合目「箸の王子」から、二合目「木境」、三合目「駒の王子」、四合目「善神」、五合目「祓川(はらいか(が)わ)」を通り、山頂の大物忌神社へと続きます。
なかでも、道者が道銭を寄進した道銭小屋跡から、開山神社を通り、仁乗上人の碑に至る道者道は、山頂の大物忌神社と木境大物忌神社を結ぶ貴重な遺構です。
平成21年(2009年)には、「国指定史跡鳥海山」として指定されました。

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詳細

修験道は古神道に、それらを包括する山岳信仰と仏教が習合し、密教などの要素も加味されて確立したといわれています。古神道は神羅万象に神霊が宿るとするアミニズムの思想がその背景にあり、そうした信仰は祭祀がはじまったとされる縄文時代にまで遡るとする説もあります。
国土の七割弱を山地で占める我が国で祖先が山を祟ったのは、自然な流れで山そのものを御神体として崇める信仰は古くからありました。
農耕が始まると、山は農耕を守護する水分神や神霊の籠る神聖な場所として、農民から篤く崇められました。
また、神霊の籠る山中に住む者や、山中で修行した呪術者と呼ばれる者たちが、山を下り治病、除災などの超自然的な能力を発揮して畏敬されました。この水分神、祖霊の信仰は古神道として展開し、山人や山の呪術師たちへの畏怖が修験道をつくりあげました。
のちに大陸から陰陽道、神仙術が渡ってきて、仏教渡来前の山岳信仰が大きく広がっていきます。
 修験道の開祖は役小角といわれています。役小角は続日本記(平安時代初期)や日本文徳天皇実録(嘉祥三年から天安二年)に実在の人物として登場しています。しかし、それ以前より修験道に繋がる信仰が存在していたといえます。
火を吐出し、夏でも氷雪を纏う山を人々が見たとき、必然として山は自然崇拝、精霊崇拝の対象となったのです。
 平安時代に入ると仏教は、最澄・空海が、比叡山・高野山に拠って、山岳仏教としての密教をおこないます。天台宗・真言宗とも、山林修行を第一とし、呪術的活動を戒めたが、やがて加持祈禱を重要視するようになり、修験道の形に近づいていきます。
この両宗派の密教が、国家仏教として国の権力により認可されるに及び、同じ山岳修行者としての立場に立つ修験道者たちも、平安の密教の中に系列化されていきます。
 修験道では、山岳を曼荼羅(宇宙)とみなし修験者はこの山の諸仏・神様と交流、合体して降魔の力を体得します。修験道にかかわりのある山岳では、登山道を一合目から一〇合目まで区分し十界の苦行の境界としました。
十界とは、天台宗の教義において生命の状態、境涯を一〇種に分類したもので、仏法の生命観の基本となるものです。
一合目籠立場(箸の王子)は地獄界、二合目木境は餓鬼界、三合目駒の王子は畜生界、四合目善神は修羅界、五合目祓川は人界、六合目賽の河原は天界、七合目御田は声聞界、八合目七ツ釜は縁覚界、九合目氷の薬師は菩薩界、一〇合目七高山山頂は仏界となります。
このように七高山までの一〇の拝所に分けられた道者道を、『矢島町史』によれば、「ありやなしやのいばらの道を、毎年のように手を加えてきたのは、開山の歴史につながる荒沢郷の人々で、その中に前鬼の流れと呼ばれる土田氏の一族があって、この道者道の支配的地位を保ちつづけてきた」とあります。
 1876年(明治9)には、この道者道の通行に際しては、応分の「道銭」を申し受けていたことを伝える、荒沢郷総代から大物忌神社本社あての願書も記されています。

道者道の儀は、古来より毎年七月一日に相決め、村中一統人足差し出し伐り払い修理仕り、お山参詣の道通行仕り易くいたし、道銭の儀は、木境小屋にて請取り申し候。ただし、祓参り候者壱銭九厘、社参宿着の者一銭五厘に候。今般御法則御改正に相成り候につき、古来の通り仰せつけまかり候はば、前件の勤めは勿論、大物忌神社社務所御体裁に順属仕りたく此の段願ひ奉り候

明治期以前から道者道が色々な手だてを講じながら、絶えまない普請、刈り払いによって維持されていたことがうかがえます。
(斎藤重一著「鳥海山」より抜粋)

しかし昭和になり祓川まで舗装道路が整備され道者道と呼ばれた道は寸断され何時しか誰も歩かなくなり荒廃の一途をたどり、歩いたことのある諸先輩たちのかすかな記憶の中に残るものとなりました。
道者道を復元する会は先輩方のそのかすかな記憶を頼りに見つけるのは至難の業とも思える茂みに隠された道を探し出し、人手を繰り出し刈り払い作業を行い、完全ではありませんが復元することができました。

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