概要
河西(かわにし)家住宅
河西家は、生駒高俊公が讃岐国17万石から1万石で矢島に移封された寛永17年(1640)に随行してきた武士の家で、矢島13代親敬公の明治維新まで230年間、目付・代官等の責務を遂行した家でもあります。
現在の河西家は明治3年(1870)建築の住居であり、築後も一部改築されておりますが、当時の趣を充分に残されております。
幕末・明治と生きた河西(かわにし)好尚(こうしょう)は、明治15年(1882)から32年まで初代矢島小学校長を務め、矢島教育の礎を築きました。
音声ガイド(音声のみ)
サイズ 1Mb前後動画(音声ガイド付)
サイズ 10Mb前後360度 パノラマ画像
詳細
河西家は、生駒高俊公が讃岐国17万石から1万石で矢島に移封された寛永17年(1640)に随行してきた武士の家で、矢島13代親敬公の明治維新まで230年間、目付・代官等の責務を遂行した家であります。
現在の河西家は明治3年(1870)建築の住居であり、築後も一部改築されているが、当時の趣を充分に残されています。
幕末・明治と生きた河西好尚は、明治15年(1882)から32年まで初代矢島小学校長を務め、矢島教育の礎を築きました。
マップ
秋田県由利本荘市矢島町矢島町43
河西家住宅
かわにしけじゅうたく
Kawanishikejutaku Housing