概要
斎藤佳三(かぞう)顕彰碑
斎藤佳三(かぞう)は、明治20年矢島地域舘町の斎藤忠一郎の長男として生まれました。東京音楽学校に入学中退し、その後東京美術学校に入学。卒業後、親交のあった山田耕筰(こうさく)らとともに大正元年ドイツに留学し、構成美学などを専攻し、大正9年には「矢島のうた」を作曲しております。
また、日本最初の商業デザイナーとして活躍されました。
昭和30年に69歳で死去し、その功績により昭和40年に顕彰碑が建立されました。
石碑には、佳三(かぞう)が作曲し、三木露風(ろふう)が作詞した「ふるさとの」の歌詞が刻まれております。
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詳細
明治20年舘町 斎藤忠一郎の長男として生まれる。大正元年ドイツに留学
構成美学専攻、大正9年「矢島のうた」作曲
昭和初期帝展第4部で入選数回。実用主義の美的生活を主張。
日本最初の商業デザイナー
昭和30年69歳で死去。昭和40年建碑
マップ
秋田県由利本荘市矢島町城内字八森3-4
斎藤佳三顕彰碑
さいとうかぞうけんしょうひ
Saitokazokenshohi Monument
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