川西家住宅の周辺
金刀比羅神社
概要 金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)金刀比羅神社は、生駒高俊公が寛永17年(1640)に讃岐から国替えされた際に、日頃信仰の厚かった領内の象(ぞう)頭山(ずざん)金毘羅(こんぴら)大権現(だいごんげん)の神霊を分霊し、従来から打越氏が鬼門...
民部坂
概要 民部(みんぶ)坂当時、年貢は八森城の裏口より納められておりました。民部(みんぶ)坂は八森城の裏手にあたるため、農民は荷車に年貢を積んで、石畳の坂を上ってきたとされております。民部坂という名前の由来は、坂のところに桜庭民部が住んでいたこ...
水神様と不動の滝
概要 水神様・不動の滝矢島町家中の河西家のあたりに住んでいた生駒藩士櫻庭佐左ヱ門が願主となり、安政6年(1859)に当時多発していた災害防止を祈願するため、姻戚関係のあった御典医(ごてんい)の相庭家所有地に、丁内有志と共に不動明王碑を建立し...
乾田馬耕碑
概要 乾田馬耕碑(かんでんばこうひ)明治時代まで、地域の稲作の多くは湿田で行われ、人の手による田起こしが主流でした。明治34年(1901)矢島町木在の三浦芳治は、こうした状況から米質の改良と生産性を高めるため、湿田から乾田。そして人力から馬...